負け方始め 「囲碁と人間の幸せー過去の遺産を未来へー」 大阪商業大学・囲碁シンポジウムより 高野圭介 |
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ヨミの初め | 「碁を打っても打っても石を取られる。悔しいが、ダメだ。 人は「ヨメ」と言う。でも、どうしたらヨメるのか?」 この素朴だが、切実な問題に、 ナム、チヒョン(Nam,Chi-Hyon)から一つの解答があった。 「ヨミの初めは、まず、石を取る目標を立てることから始まる。 それを囲んで、手数を数える・・・」 |
負けを擁護 | 「それでも、負けて仕方がない。悔しいが、ダメだ」 これに対し、大竹英雄名誉碁聖は「負けることの喜び」と言い、 谷岡一郎学長は「負けた数だけ強くなる」という言葉で締めた。 勝ち負けを作らない世相のなかで、 負けを擁護し、負けても鼓舞してくれる素晴らしい言葉だった。 |
日本の ヘゲモニー |
でも、「今、日本は既に負け方が始まっている。」と聞けば、 「何!何?」と色めき立ってくるだろう。」 日本の伝統文化、相撲、柔道を見れば、自ずと見えて来るではないか! 囲碁界における日本のヘゲモニー(Hegemonie:指導的立場)は 過去のものになりつつあると言うのである。 いや、既に過去のものかもしれない。 |
柔道・相撲 | 柔道はヘーシンクの出現以降、すっかり様子が変わっている。 ルールには、講道館柔道試合審判規定(講道館ルール)と 国際柔道連盟試合審判規定(IJFルール)の2種類のルールがあり、 大会によってどちらかのルールが採用されて、 国際柔道連盟には日本の発言は消え失せている。 相撲は東西の両横綱始め、モンゴル系、外国人の進境著しく、 周知の通り。多くを言うまい。 |
日本の囲碁界 | では、日本の囲碁界の見通しは? 二つの面で、問題を抱えていると思われる。 1.日本の棋力のレベルと指導力 2.日本ルールと世界ルール |
問題 二つ | 1.日中韓の東洋群の中で、いつの間にか後塵を拝しているとき、 世界に囲碁を広めて、オリンピックに・・・といった 高邁な思想は絵に描いた餅と言うだけでなく、 ハイ・グレードのイ・チャンホ韓国詣でに躍起ではないか? |
2.日本ルールの曖昧な美しさ?はそれはそれで良いのだが、 世界、特に西欧諸国で、 世界ルールの検討会が度重ねて催されているというのに、 東洋群諸国は馬耳東風で、まるでよそ事?と キム・ダルスー(Kim,Dal Soo)の、衝撃的な発言である。 |
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囲碁の普及に 貢献した夢 |
思うに、おそらくは コンピューターが理解出来るルールが最先端? と思われている昨今、 無関心でいいのだろうか? ある日、突然、世界棋院が設立され、 アラブかどこかの國の理事長が選出される。 イン・ルールに酷似した世界ルールが設定され、 現在の柔道界と同様の歩みが待っている・・・? そのとき、日本は負けたのではなくて、 世界へ囲碁の普及に貢献した夢が叶ったのだ。 きっと、そうでしょう。 |
一枚岩の棋院 | これに対応出来るものは、 日本にある二つの棋院が合併して、 一枚岩の棋院にして、日本のヘゲモニーを保つ。 世界囲碁の統一ルールなどに、積極的に参加する。 日本にスーパースターの出現を至上命題とする。 このこと以外には手の打ち方はなさそうだ。 |